それから黄檗山にも行つて居られたし、若王子にも居られたが、私共が車屋町に居た時分は、八百三に永く居られた。
 黄檗山の頃は、なんでもあすこが大変涼しいと云ふので行つてゐられたらしく、寺の大きな広間の事ですから、風通しもよかつたのでせうし、ひどく其処が気に入つてゐたやうですが、そのかはり、やぶ蚊が大変だと云ふので昼間でも大きな蚊帳をつつて、その中で絵を描いてゐられたと云ふ事です。
 何しろあのあたりは、やぶに取りまかれてゐて、町にゐるやうな訳には行かなかつたのでせう。
 八百三の時分は、そのあとでしたが、丁度あの家が、格子の間造りで古風な建物でした。その西の方に、きれいな風呂屋がありました。そこへよく弟子達が一しよについて行つて、先生のからだを、その風呂の中でしきりにもんでゐる今のマツサーヂと云ふのでせう、達者で顔色の艶やかな、その風貌を今でも覚えて居ります。

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